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アメリカに住んで、アメリカの企業で働いてみたい。移住する前からそう思っていたので、いろいろな人にアメリカで働くとはどういうことかを聞いて回っていました。ドラマや映画でも、あちらのオフィスは何度も見ています。
それでも、実際に働き始めてみるとカルチャーショックを受けました。
この記事をはじめて書いたのは2017年です。そのころにはもうアメリカの会社で働いていて、2020年に転職しました。今は2社目。最初のころ「やっぱりアメリカだ」と面白がって眺めていたことが、9年かけてだんだん別の顔を見せるようになりました。
オフィスの習慣の話から始めて、最後は私が今どのポジションを選んでいるかまで書きます。
最初の会社で「やっぱり」と思ったこと
上司も同僚もファーストネームでした。●●部長、ではなくなるだけで、職場の空気がずいぶんフラットに見えます。もちろん上下関係はあります。ただ呼び方が変わると、こちらの構え方まで変わってしまう。
困ったのは、職場で日本語を話す日本人と話すときでした。英語でアメリカ人を交えているあいだは、ファーストネームの呼び捨てで通せます。それが一対一の日本語になった途端、苗字に「さん」が戻ってくる。自分の中にスイッチがあるようです。どういう仕組みで切り替わっているのかは、今でもうまく説明できません。

朝6時ごろに来て、午後3時ごろに帰っていくアメリカ人がいました。早く出れば、誰に気兼ねすることもなく早く上がれる。IDで出退勤は記録されているので、システム上は全部わかっているはずなのですが、ずいぶんゆるゆるだなという印象でした。

デスクも人によって全然違いました。家族の写真、野球チームのグッズ、なにかのコレクション。自分専用の椅子を持ち込んでいる人もいましたし、立って仕事ができる高さ調節のPC台が流行り始めたのもそのころです。みんな、デスク周りのカスタマイズに命をかけていました。

勤務時間中にスカッシュ、ボルダリング、ピンポン、ジム。そういう同僚の話も実際に聞きました。仕事さえしていれば、どこにいるかはあまり問われない。ピンポンをしながら議論すれば、それは会議として扱われるのかもしれません。そこは確かめていないので、想像ですが。
自由の代わりに、差し出しているもの
ここまでだけ読むと、いい話に聞こえます。
私の住んでいるミシガン州には、こういう法律があります。会社に雇われている従業員は即日やめてもいいし、会社は即日解雇してもいい。At-will employment(随意雇用)と呼ばれるものです。
その場面を、実際に目撃したことがあります。
上司が部下にこう言っていました。「今日はもう帰っていいよ。そして明日から来なくてよいよ」。私がその場で見ていたのは、机の上にすでに段ボールが置かれている光景です。「荷物まとめといたよ」。部下は黙っています。最後に上司が「あ、IDちょうだい? ハイ、ありがとう、さようなら」。
怖いですが、現実です。
あれから9年経って、レイオフの波はむしろ激しくなっています。労働力の流動性というものを、すごく感じます。
自由と、いつでも切られること。この二つは同じものの裏表です。成果さえ出していれば何をしてもいいというのは、裏返すと、成果が出なくなった時点で理由はもう要らない、ということでした。
転職したら、もっと自由になった
2020年に今の会社に移りました。
働き方はさらに自由になっています。リモートとオフィスのハイブリッドが続いていて、週に2〜3日オフィスに顔を出せばいい。
ただし成果主義は同じです。自由度が上がったぶん、見られているのは結果のほうだけになりました。オフィスにいる時間の長さは、もう何の免罪符にもなりません。
At-willであることも変わりません。自由になったからといって、足元が固くなったわけではないのです。
そして、周りの人が動いていくスピードのほうが、前より目につくようになりました。
それでも、上には壁がある
「アメリカは実力主義だから、やった人が上がる」
半分は本当です。でも、上がっていく人を見ていると、実力だけで上がっているわけではないことにも気づきます。根回しも社内政治も、日本と同じようにあります。やらない人は上には行きません。
Glass ceiling(ガラスの天井)もあります。見えないけれど、確かにある。Mommy track、つまり子育て中の女性が昇進の本線から外れた道に乗る形も、はっきり存在しています。
ここで、日本と決定的に違うと感じることが一つあります。
上に行くか行かないかが、半分くらいは本人の選択として扱われていることです。
上に行くコースを選ばない、という判断が、選択肢のひとつとして机の上に置かれている。私にはそう見えます。上がらなかった人ではなく、上がらないことにした人。そういう受け取られ方をする余地が、ここにはある気がします。
あなたが今いる職場では、どちらでしょうか。
私はMommy trackに乗っています
仕事は生活のための手段だと思っている女性が、周りにたくさんいます。キャリアが人生の中心にある人もいますが、そうでない人もたくさんいる。
私自身もMommy trackに乗っています。
そのかわり、ベネフィットとワークロードはきちんと対応している必要があります。それなりの待遇には、それなりの負荷が要る。そこはとてもドライです。
うちは、夫が出張の多い働き方です。だから夫はキャリアに全振り、私はそこそこ仕事をしてMommy trackに甘んじる。子どもに手がかかる時期をやり過ごすための役割分担です。周りを見ていても、似たようなやり方で小さいうちを乗り切っている家庭は多いです。
Mommy trackについては、出産前後に実際どうだったかを別の記事に書きました。
アメリカの仕事の考え方を一言でいうと
自由で、フラットで、成果主義。それは間違っていません。
ただ、この記事を書いてから9年のあいだに、その下にもう一段あることがわかりました。どのくらい働いて、どのくらい受け取るかを、自分で決めることになっている。決めた以上、結果も自分で引き受ける。上がらない選択も、切られるリスクも、根っこは同じ考え方から出てきています。
週に2〜3日オフィスに顔を出せばいいことも、Mommy trackには相応の待遇と負荷がついてくることも、たどれば同じ一本の線の上にあります。
日本から来たばかりのころ、私はこれを「自由」とだけ理解していました。今は違います。選択と対価がいつも一組になっている社会なのだと思っています。
うちの役割分担も、子どもに手がかかる時期をやり過ごすためのものです。あなたが今どの時期にいるかで、たぶん選ぶ場所は変わります。私は家庭の状況や自分の気持ちを考えて、ここにいるのがいいのかな、と思えるところにいます。それは良かったと思う反面、キャリア全振りで頑張りたかった自分もまだやっぱりいて。まだまだ葛藤中です。






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